家賃7万円。お風呂なし。ビジネスモデルもなし。
そんな中「変なことやりたい」という想いひとつ、社長ひとりからトゥモローゲートはスタートした。
中途社員の採用をきっかけに、自宅兼オフィスから大阪市西区の北堀江へ。6坪の独立オフィスを借りる。もちろん内装費にお金をかける余裕はなく、コーナンで買ってきた塗料を片手に、自分たちの手で真っ黒に塗りあげた。そして家具はすべて、IKEAで新調した。
社員3人の会社に応募総数7000人。
社内で伝説として語り継がれている採用サイト「ようこそ、ブラックな企業へ」を公開。自社をブラック企業に見立てて「ブラックな企業」と称しはじめたのは、この時から。自分たちの個性(カラー)を決定づける大きなターニングポイントとなった。
社員が育ち、会社の成長スピードにも大きく拍車がかかったこの時期。事業拡大と採用強化を目的に、前オフィスの家賃より4倍強となる場所を大阪市中央区の南船場に借りる。初めて内装も協力会社へ依頼。さらなる加速度的な成長を誰もが疑わなかったが…。
社員が10人を超えた頃。漂いはじめた不協和音。これまでと同じことを伝えているはずなのに「まったく伝わらない…」。最大の要因は、規模拡大に伴う社員とのコミュニケーション不足だった。創業以来の退職者を出したのもこの頃から。仕事を心から楽しめていない雰囲気が蔓延していた。
「このままではマズイ」。そんな想いで急遽、役員3人で1泊2日の合宿を決行。売上や利益の話は一切なし。「何のために会社を創業したのか」「どんな会社を目指しているのか」。腹を割って語り明かした。結果、そのときのメモ書きが、現在の事業の根幹となる『ビジョンマップ』となっていった。
「大阪にオモシロイ会社がある」という認知拡大を目的にTwitterを開始。
2015年に登録していただけだった社長のアカウントのフォロワー数は48名。はじめは何をツイートしてもまったく反応なし。けど、そんなことは気にせず1日50~60ツイートを2年間ほぼ毎日欠かすことなく発信した。
『ビジョンマップ』を達成するため、新しいチャレンジを積極的にはじめたのがこの時期。
多少粗削りであってもいい。すべての判断基準は「オモシロイかどうか」だった。合同説明会では、真っ黒に包まれたブースで出展し1200名を集客。地下鉄御堂筋線のなんば駅をジャックして『ブラックな社員選抜総選挙』も開催。求人を目的としない『小学生向けインターンシップ』も実施した。また、Twitterで展開される『#ブラックな祭り』では、4万回ツイートされる盛大な祭りとなった。
大阪で一番オモシロイ会社を目指すためには必須だった、大阪で一番オモシロイオフィス。支払った内装費は7000万円。すべり台やダーツ、卓球台、カラオケまで完備するフリーアドレスなオフィス。仕事がもっと楽しくなる。遊び心の詰まった「大人も遊べる秘密基地」をコンセプトに設計した。
認知度を高めるため、次なる攻めの一手を展開。
より情報量の多い動画コンテンツの配信に注力するためYouTube、TikTokでの配信をスタートさせる。その結果、売上の85%、社員採用の70%はSNSからの認知や問い合わせからとなった。現在では全社員あわせて総フォロワー数33万人にのぼる。