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組織のコミュニケーションエラーを防ぎ、活性化させる方法を考えてみた。

 たとえば自分よりも歳上で実績もある先輩から「この企画についてどう思う?」と意見を求められたとします。会社で働いたことがあるひとなら誰しも経験のあるシーンですよね。その企画のことを心の底から「すばらしい」と思えた場合は「めちゃくちゃいいと思います!」と答えれば済みますが「正直、微妙だな…」と思ったとき、あなたならどんな返答をしますか。

 組織としては、相手が歳上であろうが実績のあるひとであろうが正直な意見を伝えられる関係が理想です。微妙だと思ったのなら「微妙です」と伝え、「どこが微妙だと思ったのか」まで具体的に伝える。それを受けた先輩は後輩の意見を尊重した上で最終決定を下す。そこに摩擦はなく、二人の関係が崩れることもない。そんな関係性が根付いているのが理想の組織だと思います。

 しかし現実問題、その関係性が徹底できている組織はどれくらいあるでしょうか。「うちの会社は全社員がそんな関係だ!」と胸を張れるひとはどれくらいいるでしょうか。

野球で学んだ多様なコミュニケーション

 私は高校、大学とそれなりに力を入れている野球部でありがたいことにキャプテンを務めさせていただきました。

 特に大学は北海道から沖縄まで全国から実力のある猛者たちが集まってくる環境でした。彼らはみな地元の高校野球界では知らないひとがいないほどの実力者。ある意味“お山の大将”のような状態です。そんな男たちがある日いきなり同じ窯のメシを食うわけですから、ささいなことでケンカが起こるなんてことは日常茶飯事でした。(わかりやすい比喩として“お山の大将”と使いましたがみんないいやつです。ちょっと主張が強いだけで)。そんな組織をひとつにまとめるのが一筋縄ではいかないことはなんとなく想像いただけると思います。

 まとめるのが難しい理由の一つに出身地の違いによるコミュニケーションの難しさもありました。主張が強いメンバーの中でも特に主張が強い関西出身者。表立って主張することはすくないが確かな芯をもっている関東出身者。その横で我関せずとマイペースに過ごす沖縄出身者(いずれも全員ではありませんが、傾向として私はそう感じていました)。そんな個性豊かなメンバーと円滑なコミュニケーションをとるには、話す相手によって言葉やニュアンスを使い分けることが求められました。

 同期の結婚式などで久しぶりに顔を合わせた際には「オリが一つしかない動物園みたいやったよな。俺ら」と自虐まじりに振り返るほど、エネルギッシュでバラエティに富んだメンバーで過ごした“カオス”な4年間。どこがカオスだったのかといわれると枚挙にいとまがないのですが、特にカオスだったなあと感じるのはささいなコミュニケーションのすれ違いから起きていた喧嘩の日々です。先ほども話したように、一つのオリの中で主張の強い男たちが毎日のように喧嘩をしていたのです。

 たとえばこんな感じ。キャプテンの私が新しい方針を打ち出したときにあるメンバーから「いいと思う。でも、こことここはどうやってクリアするの?」と言われた私が「いいと思うのに何が不満やねん?」と噛みついて喧嘩になる、みたいな。私の思いは「肯定から入ったのに結局否定かい。ハッキリせえや」です。今思えばなんて小さなことで…とため息が出てしまいそうですが、多様なバックグラウンドや過酷な上下関係下において、そういったささいなコミュニケーションのズレは喧嘩に発展する材料としては十分だったのです。

「肯定から入る」は正しいのか

 ビジネスシーンにおけるコミュニケーションの好例として「肯定から入る」というものがあります。たとえば、ある企画について意見を求められたときに「微妙だな…」と思っても、まずはいいところを見つけて「ここは素晴らしいと思います。ただ…」と正直な意見を述べていくスタイルです。

 「肯定から入る」コミュニケーションが良好な人間関係を築くために効果的であることは間違いないと思います。特にクライアントや目上の人には肯定から入ることで相手に敬意を示すことができます。ただし、すべての人間関係において肯定から入ることが最適解かと言われたら悩ましいところがあります。

 つい先日、弊社トゥモローゲートでこんなことがありました。ある企画に対するメンバーのフィードバックを見たベテランクリエイターの社員が「まず褒めて、改善点があれば改善点を伝える」というトゥモローゲートで定番化しているスタイルにある指摘をしたんです。指摘をしたといっても「そのスタイルはやめよう」と言ったわけではなく①誤解を生みやすい②改善点がわかりづらいという二つの懸念点をあげました。

 たしかに、もし自分が提出した企画に対して自分よりも実績のある先輩に第一声で「いいと思う」と言われたら、その時点で「よかった…」と安心してしまい、そのあとにリアルな改善点が伝えられたとしても、改善提案の内容やそこに込められた意図を100%受け取れる自信はありません。

 さらにいえば、人間だれしも辛辣な意見をいわれるのは怖いですから、フィードバックの1割が褒めの言葉で残りの9割が改善の提案だったとしても、1割の褒めの言葉が冒頭にきた瞬間に「褒められた」ことだけを信じたくなります。こうなってしまうと次回までの改善が的確なものになるかどうかはかなり怪しくなってきますよね。

 このように、肯定から入るコミュニケーションがふさわしいかどうかは人間関係やシーンによって変わってきます。「肯定から入る」が良好な人間関係を築くために必要なのは、あくまで部分的だというわけです。

善意がコミュニケーションを複雑にする皮肉

 悪意に満ちたコミュニケーションならしかるべき対処をすれば済みますが、ここで例にあげているコミュニケーションのズレは善意の上に成り立っているというのがすこし厄介なところです。

 たしかに、後輩が一生懸命考えてきた企画に対して第一声で改善点を伝えるのは気が引けます。これは人間として当然の感情だと思います。しかしその感情にしたがったがあまり、本当に伝えたいことを伝えられない、持っていきたい方向に持っていけない、結果として後輩が育たない、チームが育たないという結末に向かってしまう可能性があります。

 善意のような感情がコニュニケーションを複雑にするシーンは他にもあります。たとえばやたらと敬語を連発してしまうパターンです。「〜させていただきます」をはじめとする表現は相手を敬う言葉である一方、多用すると結局なにが言いたいのかわからないと相手にストレスを与えてしまうことがあります。

 先日のキャッチフレーズについて、その後、再度あらためて検討したところ、方向性や考え方(コンセプト)はおおむね問題ないものの、キャッチフレーズそのものの内容につきましてあらためてご検討・ご相談させていただきたいのですが、ご検討いただければ幸いと存じます。

 ありがちな「嫌なことをやんわりと表現した結果わかりにくい上にかえってイラつく文面になった現象」ですね。ここから「させていただけないでしょうか」的な遠回しな表現を削除してみましょう。

すいません!キャッチフレーズの新案を書いてください。

いかがでしょうか。後者のほうが短くて分かりやすいし、印象だって良いですよね。

「させていただけないでしょうか」禁止令

 こちらは電通のコピーライター橋口幸生さんが指摘する「させていただきます」を多用してしまった悪いメールの例とその改善案です。相手を敬うある種の「善意」がコミュニケーションを複雑にするシーンを、具体例とともに非常にわかりやすく説明してくれています。このようなシーン、心当たりのあるひとは決して少なくないでしょう。

 かといって、自分が新入社員だったと仮定したときに、橋口さんが理想とするコミュニケーションをどんな上司に対しても徹底できるかと言われると自信がありません。ではどうすればいいのか。解決策になりえるのは、組織全体でコミュニケーションに対するスタンスを統一することだと考えます。

ホンネをストレートに伝えてもギスギスしない理想の組織

 新入社員がベテラン社員の企画に対して正直な感想をストレートに伝えることができる。逆にベテラン社員が新入社員の企画に対して正直な感想をストレートに伝えることができる。そしてそのコミュニケーションがおこなわれたとしても双方の関係がギスギスすることはない。これが理想の組織ですよね。

 しかし、理想を語るのは簡単な一方で実際にそんな組織をつくりあげるのは非常に難易度が高いです。むしろ、完璧にそんな人間関係を構築できている組織は存在しないのではないかとすら思います。

 Amazonで「組織 コミュニケーション」と検索したら実に1000冊以上の書籍が出てきました。これはすなわち多くの企業がコミュニケーションで課題を抱えていることを意味しますし、今なお刊行され続けている様子を見ると、解決に至った組織はほとんどないんだろうなと思います。さて。困ったものだ。解決策はあるのか。

 なんて思っていたときにたまたまレコメンドされてきたYouTube動画にヒントを見つけたのでご紹介します。

野球日本代表のコーチが模範かもしれない

 

 プロ野球解説者の片岡篤史氏が自身のYouTubeチャンネルにて、東京五輪で野球日本代表のコーチを務めた建山義紀氏をゲストに迎えたこの動画。できればすこし見ていただき、質問を受ける側の建山氏のコミュニケーションの取り方を見てほしいです。建山氏、「あいづちとして言葉」をほとんど口にしないんです。

 たとえば、誰かに意見を求められたり、たくさん質問をされたら「そうですね…」といったあいづちか、「いや…」といった否定の言葉を発してから話しはじめるときが多いと思います。私もそうです。でも、建山氏にはそれがない。

 聞かれたことに対しての返答を自分の中で噛み砕き、どう返答するのかを吟味してから慎重に話しはじめるコミュニケーションは、新鮮にもかかわらず気持ちいいほど違和感がありません。編集でカットしているのかな?と思ってよく見てみると、もちろんそれっぽいシーンもあるのですが、基本的にはそのスタイルを貫かれていました。

 私はこの「反射的に反応しない」スタイルに組織のコミュニケーションをなめらかにするためのヒントが詰まっているような気がしたんです。

 先輩に意見を求められた際に間を持たせるためにとりあえず「そうですね」と言うのではなく、この意見に対して自分は本当はどう思っているのか?を自問して、明確になってから初めて口を開く。ここにはコミュニケーションの複雑化を避ける力だけでなく、「よく考えてから答えてくれている」という誠実さを相手に与えることもできそうです。

 このようなコミュニケーションの取り方が全員に浸透すれば、組織のコミュニケーションは極めてなめらかになり、それに伴う摩擦や人間関係のずれを防げるのではないかと思います。そのためにまずやらなければいけないのは先輩側の意識改革です。思ったことを反射的に返答して後輩を傷つけていないか?後輩を迷わせていないか?一度立ち止まって考えることができれば、しだいに組織全体に根付いていくのではないかと思います。

猛烈に反省している新聞記者時代

 反射的なあいづちだけを受け取られてコミュニケーションが崩壊してしまった実体験をひとつ話しておきます。私はトゥモローゲートに転職する前はスポーツニッポン新聞社で阪神タイガースの担当記者をしておりました。「世界一マスコミの多いプロスポーツチーム」と言われる阪神の報道環境は今思えばかなり雑なものでした。

 ある新人選手への取材でのこと。50人にものぼる大人たちが期待のルーキーを質問攻めにするシーンです。ある記者が投げかけた「●●選手、1年目の目標はなんですか?」という質問に対してその新人選手は「まずは1軍で試合に出られるように頑張ります」と答えました。

正直、おもしろい返答ではありません。

 記者は食い下がります。「ファンの方々は〇〇選手に1年目からホームラン王を期待していると思います。その期待についてはいかがでしょう?」。ここまで聞かれたらその選手はホームラン王について触れないわけにはいきません。「そうですね。期待していただいているのはありがたいです。でもまだ1年目なので。意識しすぎず頑張ります」と答えました。さて、翌日のニュースや新聞紙面を飾ったのはどんな言葉だったでしょう。

 「●●、1年目からホームラン王宣言!」

 その新人選手にはなんの非もありません。受け答えの仕方が悪い!あいづちを打つほうが悪い!なんて言うのはあまりにも酷です(むしろ一人の新聞記者としてこのような状態が当たり前になっていた現状を猛省しています…)。そうではなく、ここで伝えたいのは「不用意で反射的なあいづちがコミュニケーションのズレをまねくことがある」ということ。そのためにあえて特殊で極端な例をあげさせていただきました。

 とりあえず何か言ったほうがいいのかな…。
 変な間ができてしまうからとりあえずあいづちを打っておこう…。

 そんな善意や誠意がかえってコミュニケーションを複雑にしてしまう、ひいては人間関係の崩壊につながってしまうケースは少なくないと思います。そこで思い出して欲しいのが先ほど紹介した建山氏のコミュニケーション。もしかしたら、組織の永遠の課題であるコミュニケーション問題を解決する糸口になるかもしれません。

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