フリーランス映像作家と会社員映像作家。どちらを選ぶべきなのか?

フリーランス映像作家と会社員映像作家の違い

前回に引き続き私がお伝えさせていただくのは映像にまつわる話。

中でも今回は“独立”という人生にとって一つの節目について言及しようと思う。

まず始めに私自身はフリーランス映像作家を経て2022年9月現在トゥモローゲート株式会社に所属している。これまでの映像業界における経歴については敬愛してやまない私の上司のブログをご覧いただきたい。

2021年トゥモローゲートが採用したクリエイターたち

世界はクリエイティブなモノづくりで溢れている。絵画や建造物に始まりあなたが身につけている衣類など身近なものにまでクリエイティブは詰め込まれている。

その全てが世界を変革するほど壮大なものではないかもしれないが、遠く離れたどこかの地の誰かに愛される”小さなアイデア”であることは間違いない。

そんな発想を有するクリエイターとして生きていくには大きくふたつの”道”がある。

1人(フリーランス)でモノづくりをするのか
チーム(会社やそのほか組織)でモノづくりをするのか

どちらも経験した視点からふたつの違いについて言及したい。いい悪いの話ではない。私が感じた双方のメリットデメリットを提示することでこの記事を見てくれている誰かのキャリアのヒントになれば嬉しい。

能力の観点で見る違い

自分の職務内容を極めたくなる瞬間がある。

恐らくこれは自然の条理でありクリエイターとしての条理でもあるだろう。しかしそのプロフェッショナルを追求する際に“会社をはじめとする集団に属する”という選択をしていると時に窮屈さを感じる瞬間がある。

その窮屈さの先に広がる選択肢が“独立”だ。

ひとえに映像作家が独立するといっても選べる職種は数多い。監督や助監督といった作品を司る職種。撮影技師や照明技師、CGクリエイターといった技術に特化した職種。そのどれもに多くのロマンが詰まっている。

どの職種を選んだとしても共通するのが“幅広い映像コンテンツに携わる機会がある”ということ。映画制作に携わる日もあれば、短尺のCM制作現場に行くこともある。と思えばテレビ番組の編集を任され、また違う場面ではイベント用の映像を託される場合もある。この幅広さというのは会社に属していては難しい独立ならではの良さだと感じる。

そこで求められるのは経験に基づいた技術力と柔軟性。クリエィティブとリアルの具現化のためにどう立ち回るか。自分の持つ技術をクリエイティブの精度にどれだけ落とし込んでいけるか。さらには技術力が優れていたとしてもそれを周りに伝える技術がなければ意味をなさない。逆も然り。高度なノウハウが求められるのがフリーランスだ。

対して会社員に求められる技術のハードルは下がる。というワケではない。

現に私自身がかつて所属していた会社では技術力が大いに求められてきた。ことトゥモローゲートにおいてはインプットとアウトプットを両立すべく日々貪欲に映像作品を咀嚼するようにしている。そうしなければ置いていかれる懸念があるからだ。求められる能力や担当する仕事に若干の違いはあれど決して明確な差があるわけではない。

その中で明確に「違う」と感じるのは「求められる成果の種類」ではないかと思う。組織に属する人間が「持続的な成長と貢献」を求められることに対してフリーランスの映像作家には「瞬発的な貢献」が求められる。

分かりやすく言えばフリーランスは目の前の仕事で成果を出せなければ仕事がどんどんなくなっていく。一方の組織ではその傾向はそこまで強くない。どちらが正しいというわけではなく、人生観やビジョンにあった方を選べば良いと思う。

労働環境の観点で見る違い

独立には働く環境の変化が伴う。

18世紀初頭「東インド会社」がレドンホール・ストリート(ロンドン)沿いに建てたビルが集団として働く「オフィス」の始まりだと言われている。それから300年近く経った現代において会社員の働き方は大きく変化を遂げている。ほんの10年前は限定的だったリモート勤務が当たり前になったのが最も分かりやすい例ではないだろうか。

リラックスできる環境で職務をこなすという真逆の行為に背徳感を感じた人もいると聞く。働く環境が変わるということは人間の深層心理に大きな変化を及ぼすということだ。(余談だが、私も映像作家として独立する際、自宅のキッチンに似ても似つかないリクライニングチェアとデュアルモニターを拡げた過去がある。あの場所からつくり上げた映像作品は塩味が強く香ばしいものであったと願いたい。)

映像作家には①現場での撮影施工②撮影後の編集という2つの業務が存在する。

フリーランスとしてアウトソーシングされてプロジェクトに関わる際は会社員と連携の仕方が異なるため、現場での対人関係を含めた撮影フローに苦悩を強いられることがある。いつの時代も技術の進化は想像を遥かに超えるスピードで加速し続ける。そんな中でクリエイターに求められるのは「コミュニケーション能力」だ。

専門職によく見られる現象ではあるが、特に映像制作者は「人と接する事」が苦手なイメージがある。事実として私も映像制作者。クリエイティブに集中する時は周りの情報を遮断したくなるものだ。しかし本当に遮断してしまってはクライアントの思いを汲み上げることもできない。持続的で建設的なコミュニケーションを測る必要がある。

フリーランスの場合、顧客と企業の間に挟まれることがよくある。円滑なコミュニケーション能力を持っているなら物事はきっと首尾よく進む。人の思いと考えを汲み取る力、それを明瞭化して形にする能力を持ち合わせているなら、あなたはきっと映像制作の現場で重宝されるであろう。

会社員の場合はどうだろうか。偶発的なコミュニケーションが盛んな就労環境においてアイデアベースの会話は時に作品の完成度を大きく引き上げ、健全なコミュニケーションは事故を未然に防ぐ。

企画会議におけるブレストやプリプロダクション(撮影前の作業の総称)の連携がまさにいい例であろう。適時適正なコミュニケーションは作品のブラッシュアップにつながるし、何よりも周りからの信頼につながる。

いつの時代も、どんな業界にいても、こういったマインドセットを心がけたいものだ。

資金の観点で見る違い

フリーランスとなり、資金及び税務の適切な処理を自分自身で行う事も視野を広げるきっかけになる。消耗品費の上限金額を意識できる映像制作者は重宝される。その意識は制作費の効率化につながり結果として価値提供につながる。

とりわけ初期投資が大きい映像コンテンツの作成において事業にかかる勘定科目を理解しておくことは糧になる。フリーランスとして事業を推進するときも会社に属するときもそれは大きなメリットになるだろう。

フリーランスの映像作家は自己資金を用いた撮影機材への投資が盛んだ。直感的に判別しやすい武器だからだ。フリーランスは経営(CEO)と財務(CFO)を兼務しているようなものなので目的にフィットしたジャッジを下すノウハウも身につけられる。そしてここで培ったノウハウは組織に属する時が来ようとも大いに発揮することができる。

一方で企業に所属する会社員には会社員だけの大きなメリットがある。それは企業としての資本力の大きさが多くの信頼につながるということだ。プロジェクトの規模が大きければ大きいほど、”信頼のおける誰か”に任せたくなるものだ。上流工程において、そのタイミングでフリーランスではなく企業を選択することは珍しいことではない。

キャスティングや撮影機材のレンタルにおいても同じことが言える。いくら愛想が良くても面識のない人間に自分の写っている映像や高額な機材の管理を任せようとは思わないことであろう。信頼を得て成り立つ顧客及び取引先企業との関係は相対する立場によって変化があって然るべきものである。

資本に基づく信頼は会社員として映像制作をする上で、有利なアドバンテージとなる。

NDフィルターを一枚レンタルする金額はおおよそ1000円。だがその1000円で数十万円分ときには数百万円分の価値を上乗せできる可能性もある。そこに気づけるようになることも映像制作者にとって必須のノウハウだ。

プロジェクトおける適切な予算管理はクライアントの思いを実現し、これまでにないアイデアを具現化する可能性を秘める。個人、組織を問わず映像制作に携わるものとして意識すべきフェーズであることを認識しておきたい。

フリーランスにも会社員にもメリットデメリットは存在する

SNSインフラと動画技術の発達によりひとり(フリーランス)で映像コンテンツを形にするハードルは容易くなっている。本記事でも触れたようにフリーランスとして活動することによる魅力的な要素は非常に大きい。だが、チーム(会社、組織)に属してコンテンツをカタチにするメリットを決して蔑ろしてはいけない。

私自身は現在、映像ディレクター兼カメラマンという役職にてトゥモローゲートで勤務している。冒頭でお伝えしたように数多くの映像撮影に携わってきた身ではあるが、それでも日々新たな学びと刺激に心を踊らせている。仲間と共に作り上げるコンテンツへの愛はとても深い。切磋琢磨しながらクライアントへの最適解を分析するそんな仕事は会社員の特権だとも思っている。

人生は選択の連続だ。クリエイティブ全体を俯瞰してみた時に、自分の作りたいコンテンツと、将来のビジョンに沿った選択を見つめ直してみてはいかがだろうか。

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