こんにちは。
トゥモローゲート意匠制作部の山下嘉康です。
いきなりですが、みなさん。「映画」、観てますか?
最近はサブスクで映画に触れる機会が増えたって人も多いんじゃないでしょうか?
実は山下、一日中映画館にいる日もあるぐらい映画が好きでして。
だいたい月に3.4本ぐらいのペースで観ています。
なんでそんなに好きかって?
絶対にリアルでは経験できないことを体験できるってすごくないですか?
ちなみに卒業論文は「映画における〈炎〉がもたらす演出効果について」でした。
教授からは「切り口だけは面白い」って言われました。ちょっとでも面白いポイントがあって良かった。
今日はそんな「映画」についてのブログです。
INDEX
本題に入る前にもう少し。
実はトゥモローゲートには「映像制作チーム」があります。
お客様の動画案件の制作をすべて担うワクワクするチームです。
今年の4月に発足したばかりのピヨピヨチームですが、メンバーみんな必死です。
スーパーキャメラマン&カラリストのクララ
TV業界でブイブイ言わせてたサトムラ
鋭いセンスでプロジェクトを推し進めるはらみん
で構成されています。山下もここに名を連ねているわけですが、実は映像制作に携わった経験なんてほぼないんです。
そんな山下が加入できた理由は1つ。
「映画が好きだから」
So Simple.
ははーん、これが好きを仕事にするってことなのか。(ホントのことを言うと「映像チームにディレクションできる人、欲しくないですか?」と意匠制作部GMの池田さんに直談判したのがきっかけで、そこからいろんな議論を経て今に至っているんですけどね。山下のディレクションに対する姿勢はこちらより)
とはいえ、仕事を任せてくれる会社やお客様に「ただの映画好きじゃなく、ちゃんと考えながら映画と触れ合ってきたんだぞ」ってのを、ここらで示しておきたいなと。
そう、山下は承認欲求の塊。
性格がね。
なんか穿った見方をするとか、いちいち深く物事を考えてしまうとか。
そんな性格は映画を観る時にも少なからず発症していて。
「なんでこの人にこのセリフ言わしたんやろう」とか「なんでこのカットを挟んだんやろう」とか。
でも今になって思うと、それが映像制作に活きているなと。
※幕間(まくあい):映画館で上映前に流れる映像
さて、今回は映像制作に携わるようになって「あーこれ観ておいて良かったなー」って作品を紹介しようと思います。僭越ながら。
紹介するのは全部で5本。映像制作ならではの手法「心理描写」を中心にご紹介しようと思います。
少しでも気になったら週末や年末年始のおともにどうぞ。
YBM邦画部門において、15年以上1位に君臨している作品。※YBM:山下的ベストムービー
オダギリジョー、香川照之、ブレイク前の真木よう子、つまり最強の布陣でお届けされます。あらすじは下記。
“故郷を離れ、東京で写真家として活躍する弟・猛(オダギリジョー)は、母親の法事で久々に帰省し、兄・稔(香川輝幸)が切り盛りする実家のガソリンスタンドで働く昔の恋人・智恵子(真木よう子)と再会する。兄弟と彼女の3人で渓谷へ遊びに行くが、智恵子は渓流にかかる吊り橋から落下する。その時、近くにいたのは稔だけだった。これは事故だったのか、事件なのか…。”(wikipediaより抜粋)
オダギリジョー演じる猛と、香川照之演じる兄・稔の人生観や性格の対比がイイんですが、二人が本音をさらけ出すことは少ないです。
そんなキャラ同士の考えや性格を表すシーンが随所に散りばめられているのが良きです。
山下の一番好きなシーンは、物語の序盤。法事での親族を交えた食事のシーン。
無粋な態度で食事をする猛。親族にひたすらお酌をする兄の稔。
しまいには猛と厳格な父親はケンカに。
止めに入った稔の足元には、その拍子に倒れたお猪口からお酒がしたたり続けます。
この足元の寄りが3秒ほど映し出されるんですが、このシーンだけで稔がどんなキャラクターかを掴めるか、が1つポイントになると考えています。
きっと稔は、ずっと自分を殺して生きてきたんです。
だからこそ、二人は本音で話すことは少ない。しかし、とある事件をきっかけに2人の本音が静かにぶつかっていく。
なにが真実で、なにが嘘なのか。物語が進むにつれて、二人の関係性が変わっていく。
その過程で、キャラクターのセリフの意図が大きく変わって見えてくる。
そこに脚本や演出の妙を感じます。
ちなみにラストカットはゆれました。主に山下の心が。
当時、アカデミー賞を席巻した「LA LA LAND」の監督、デイミアン・チャゼルの長編デビューとなった本作。
原題は「WHIPLASH」です。そういや「LA LA LAND」の後ってミュージカル調のCMが増えましたよね。分かりやすいぜ日本。
出演はマイルズ・テラーと名優J・K・シモンズ。あらすじは下記のとおり。
“19歳のアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)は「偉大なジャズドラマー」になる夢を胸に、アメリカ最高峰の音楽学校に通っていた。ある日アンドリューが教室で1人ドラムを叩いていると、学院最高の指導者と名高いテレンス・フレッチャー(J・K・シモンズ)と出会う。フレッチャーは後日、自身が指揮するシェイファー最上位クラスであるスタジオ・バンドチームにアンドリューを引き抜くのだった。”(wikipediaより抜粋)
このフレッチャーって指導者が「鬼」なんですよね。
なにがってその指導法が。
容赦ない連続ビンタ、飛び交うシンバル。
そんなフレッチャーにくらいつきながら一流のジャズドラマーを目指すアンドリュー。みなさん、シンバルは武器でした。
本作でハッとした演出は「主人公のいないカットが10秒もない」ってところです。
そのシーンも特にセリフがあるわけではなく。
どういうことかというと、「主人公の世界」しか観客は知ることができないんですよね。
多くの作品は登場人物のいないところで「あいつはあぁいう奴だから」とか「あの人はこう思ってるのよ」的なやり取りが存在するはずなんです。
そのやり取りを通じて「確かな人物像」に気づくわけです。悪人が本当は良いやつだったとか。すると、思わず感情移入したりするんです。
なにより映像制作において「感情移入させること」は非常に大きなポイントです。
そもそも「何を考えてるのか分からん人」に感情移入するのはすごく難しい。
本作の巧いところは「感情移入する先を主人公1人に絞っている」という点です。
なぜなら前述のとおり、本作で描かれるのは「主人公の心情と行動」だけだから。
それにより観客は100%主人公に感情移入することになり、教官を100%鬼として見てしまう構図ができあがります。
もし鬼教官にもフォーカスを当てていたら、青春味を帯びた作品になってしまいそうなところを絶対にそうはさせない。
だからこそ、ラストでの2人のやり取りでカタルシスが爆発する。
そんなラストシーンはYBMラストシーン部門の中でも上位にランクインする快作でした。※YBM:山下的ベストムービー
同じような構図でいうと「JOKER(アメリカ/2019年)」もそうですね。
バットマンの敵のあれです。階段を踊りながら降りるあれです。この作品にも主人公以外を映すシーンがほぼない。
だから周りが主人公をどう思ってるかなんて分からないし、もはや誰も主人公に気をとめない。
セッションは「己との戦い」、JOKERは「ある男の孤独や社会との断絶、それによる狂気」がテーマという違いはあれど、近しいのでセットで紹介してみました。
それはそうと、「JOKER」はハッピーエンドな映画だと山下は思っています。
はい、そうです。エイリアンです。
観たことはなくても知ってるって人がほとんどだと思います。
たまにアメリカンなバーガー屋さんにでっかいフィギュア置いたりしてますよね。
「なんで?食欲なくなるんやが?」ってなりますが、人の趣味にケチをつけるのは野暮ってもんです。
主な出演はシガニー・ウィーバー、トム・スケリット。あらすじは下記。
“大型宇宙船の薄暗い閉鎖空間の中で、そこに入り込んだ得体の知れないもの(エイリアン)に乗組員たちが次々と襲われる”(wikipediaより抜粋)
シンプルすぎてwikiさんもお手上げって感じ。
それだけ偉大なSFホラー古典ですし、優れたコンテンツはいつだって一言で説明できちゃうんです。
さて、先の2作とは違った切り口での紹介です。
そもそも、心理描写って「作中で気付けるかどうか」で物語の印象が変わるぐらい重要だと思っていて。
じゃあなんでエイリアンを紹介するのかというと、個人的に人と一番共有できる感情って「恐怖」じゃないかと思うんです。特に未知なるモノに対しての恐怖。
ホラーに対する文化が違うのに「リング」も海外でヒットしたじゃないですか。
なので、ここでは「どうやって観客と劇中のキャラクターの感情をリンクさせるのか」って視点でお話しします。
さてさて、「エイリアン」っていうと、あの黒いモンスターが容赦なく襲ってくるイメージないですか?
まぁ実際ガンガン襲われるんですが、実はこの1作目、エイリアンの全身が映るのって10分もないんじゃないかってぐらい短いです。意外。
でもしっかり怖いんですよ。すごいですよね。
エイリアンの造形は撮影ギリギリまで練られ、しっかりとしたコンセプトアートも用意されているのに。
売上も続編も確約されない中、そこまで考えたものって大画面で披露したくなりません?(山下はなる)
でも出さない。
がしかし観客には登場人物と同じ恐怖を味あわせたい。そのために何をしているのか。ザッと挙げると
・暗闇の多用
・閉鎖空間かつ宇宙船という絶対に助けが来ない状況
・1人そして1人と消えていく仲間たち
・得体の知れないバケモノに立ち向かう1人の女性
といったシチュエーションに全フリしてるんですよね。
ここに観客を没入させることで感情をリンクさせる。
タイトルにもなっているモンスターを、あえて見せないことで生まれるインパクト。
最初から最後まで「得体の知れないバケモノ」であり続けたんですよね、エイリアンは。
映画において、未知なるものの正体が分かった時に物語は一つの山を超えます。なぜならそこからの物語は「奴をどう倒すか」にシフトするのが常套手段だからです。
ただエイリアンは「得体の知れないモノ」を「どう倒すか」に上映時間すべてを使ってるんです。そりゃハラハラもするってもので。
これらを終始見せ続けることで主人公の心情を追体験させてるんですね。(実は製作スタッフが降板したり、納期がカツカツだったりでエイリアンの全身を使う余裕がなかったとかどうとか)
人類で初めて性転換手術を受けた男性と、彼を支え続けた奥さんのお話。
出演はエディ・レッドメインとアリシア・ヴィキャンデル。
エディさんは「ファンタスティック・ビースト」の主人公ミュート役とか「レ・ミゼ・ラブル」の青年将校役で有名ですね。アリシアさんはマジでキレイ。
この2人はYBMの俳優/女優部門において、それぞれTOP3にランクインしています。※YBM:山下的ベストムービー
あらすじは下記。
“1926年のデンマーク。肖像画家のゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)は、風景画家の夫・アイナー(エディ・レッドメイン)と暮らしていた。ある日、ゲルダが制作中の絵の女性モデルが来られなくなり、アイナーに脚部のモデルを頼む。それを見たゲルダは、冗談でアイナーを女装させ、「リリー」という名の女性として知人のパーティーに連れて行く”(wikipediaより抜粋)
これはもう「観てください」としか言えない。This is 名作。
なにを観ろって、エディ・レッドメインの演技。これに尽きる。
妻役のアリシア・ヴィキャンデルも本作でアカデミー含めたくさんの助演女優賞を取ってるんですが、これはエディ・レッドメインがすごい。
あらすじにある通り、ある日奥さんに冗談半分で女装させられるエディ。
そこから彼の中にある女性が目覚めていくんですが、それを自認する瞬間があるんですよね。
いやー、そのシーンの色っぽさったら。表情や所作が完全に女性。
「あ、覚醒した」って分かってゾクゾクしたのを今でも覚えてます。
こんな複雑な感情をセリフもなく、体1つで感じさせるのは本当にすごい。
それと同時に、重要なシーンに余計な説明セリフは不要だと考えさせられました。
ついつい大切なことって口にしたくなりがちだと思います。特に伝えたいメッセージがビンビンにある場合は。
でも、あえて口にしないことで伝えられるものもあるはずなんです。
例えば「私、めっちゃキレイ好きなんです」って言うより、毎日欠かさず部屋を掃除する人の方がキレイ好きだと思うじゃないですか。
これと同じで、本作は「女性への目覚め」という作品の大きな転機を、セリフ無しで表現しています。
さらに、カメラワークも脚部やくちびるなど「女性」を暗喩するようなパーツにフォーカスし視覚へと訴えかけてくる。
映像制作の上で「何をどう見せるのか」の大切さを感じさせてくれる逸作です。
もちろんストーリーも激良きなのでぜひ。
最近なら「ヘレディタリー/継承」や「ミッド・サマー」をスマッシュヒットさせた、まさに飛ぶ鳥落とす勢いの制作スタジオ「A24」による、とある幽霊のお話。好きだぜA24。
出演はケイシー・アフレックとルーニー・マーラ。
あらすじは下記と思ったら、なかった。wikiさんに本作のページはなかった。マジか。
なので、ほんの少し説明。
“郊外に念願のマイホームを購入した夫婦。しかし突然の事故により夫は帰らぬ人となってしまう。悲しみに暮れる妻。しかし、遺体安置所で夫は幽霊として復活する。被せられた白い布を身にまとったまま幽霊となった夫は言葉を発することもできず、ただひたすらに妻と家を見守り続けるのだった”(山下の記憶より抜粋)
ここまで4作紹介してきました。
「これがこうなってるから、こういう心情を表現しようとしてるんですよー」と講釈を垂れてきました。
本作はその締めくくりです。締めくくりなんですが、
もうね、この作品は分かんないんですよ。
上映時間92分をフルに使って幽霊の心情を説明しようとしているのは分かる。
ただ肝心のそれが分からん。
まず幽霊は話しません。ずっと家の中にいます。しかし時はすぎ、いずれ妻もその家からいなくなります。そして新しい入居者がくる。でも幽霊はずっと家の中にいる。
そしてラストはあっけなく訪れる。
きっと彼の中で確実になにかがスッキリしたんやろうけど、「なにに」「なんで」スッキリしたのかは本当に分からん。
それを知りたいがために、途中から前のめりで観ていたのを覚えてますし、前述の通り「何を考えてるのか分からない=感情移入しにくい」はずなのに、胸が締め付けられたことも覚えてる。(なんなら泣きかけた)
今回、なんで本作を紹介しようと思ったかというと「想像させる余白を残す」のはとても大切だと思っているからです。
映像制作において大事な要素に「余韻」があると考えています。
観た後に、ついつい思いを馳せてしまう。
「面白かったー」で終わるんじゃなく、誰かと語り合いたくなる。
名作にはそんな要素があります。
それはつまり「心を動かされている」ということ。
映像を制作するには必ず「目的」があります。
「この人をこんな気持ちにさせたいな」とか「これ買ってほしいな」とか。
そういったアクションを起こさせるためにも「余韻」や「読後感」は欠かせません。
これまで紹介した作品にも手法は違えど、すべて「目的」があるはずなんです。
本作は、その手法があまりに独特だったため紹介しました。
むしろ独特がゆえに、これらのことに気づけたのかもしれません。
ただただ自分の好きな作品を並べた今回のブログ。いかがでしたでしょうか?
トゥモローゲートの仕事は「伝えるべきメッセージ」と「誰に伝えるか」がハッキリしているので、アートな表現に走ることは少ないです。
だからといって、それを知らなくていい理由にはならないんですよね。
アート的感覚もデザイン的感覚も持ったうえでベストなモノを作る。
そのためにインプットを増やす。
たくさんの作品に目を通して、自分なりに「作品のテーマ」「監督からのメッセージ」を考えてみる。(結構たのしいですよ)
昔から自然とそういう見方をしてきたから、なんとかやっていけてるんだなぁ。とこのブログを書きながら感じました。ありがとう昔の自分。
映像チームができて、もう半年以上。
ここからドンドン魅力的な作品を作っていきます。
もちろん成果に繋がることを前提として。
どうですか?一緒にオモシロイ作品を作っていきませんか?
少しでも興味を持っていただけたらぜひエントリーを。
好きな俳優は「ジェシー・アイゼンバーグ」「ジム・キャリー」
好きな女優は「アナ・デ・アルマス」「メグ・ライアン」
な山下がお送りしました。
最後はジャパニーズ映画界の巨匠、水野晴郎御大の言葉をかりてさよならです。
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね。」
では、また次回のブログでお会いしませう。