就職留年は「不利」なのか。

本選考が落ち着き始める初夏、にわかにこの話題が盛り上がり始める。

かくいう僕も、「現役」で挑んだ就活は箸にも棒にもかからなかった。

やむなく「就職留年」に追い込まれてしまった身である。

そんな僕が、冒頭の問いに答えるとしたら。

「就職留年は、決して不利ではない」

いや、むしろ「有利」になるかもしれないとさえ思うのだ。

なぜなのか。

その答えを、この記事で解き明かしていきたいと思う。

就職留年前夜

2019年8月。夏休み。

同級生たちは、競うように旅行や飲み会での思い出をタイムラインに放流し続けていた。

対する僕はというと、大学4年生にもなって絶賛就活中。

真夏に淀屋橋のオフィスビルを駆け回った成果も虚しく、

選考中の企業(いわゆる『持ち駒』)は残り一社にまで限られていた。

そんな僕は、ひとり7畳のワンルームでスマホを握りしめていた。

最後の「持ち駒」である一社の、最終面接の結果が手元に送られてきたのである。

「選考結果のお知らせ」

1年間の就活で見慣れたはずのそのタイトルが、異様な重みを感じる。

僕は心を決めて、メールを開いた。

就職留年が決まった日

5秒後、僕はスマホをぶん投げた。

見事、落選だった。

敗因は、いくつも考えられた。

私服OKの面接に、スリッパとジーパンで挑んだこと。

就活カバンを買わなかったこと。

何度も面接に遅刻しそうになっては、ビジネス街を爆走する『淀屋橋マラソン(勝手にそう呼んでいた)』を開催したこと。

就活マナーを全く知らず、面接官に「お座りください」と言われる前に堂々着席してしまったこと。

夏インターンが始まる時期にプロレスラー・中邑真輔みたいな髪型にしてしまったこと。

AI作

思い出したらキリがない。

何はともあれ、最後の持ち駒を失ってしまった。

「自分の“変わっている所”を個性的に伝えよう!!」と張り切った結果、誰にも求められていない変わり方をしてしまい、見事にスベりつづけたのだ。

──しかし、1年後。

それなりに面接のマナーやテクニックを身につけ、ちゃんとスーツを着て、就職留年をやり遂げ、見事広告会社に内定を決めることとなる。

そんな経験を通じて、まずは「就職留年して良かったこと」や「後悔したこと」について解説したいのだが。

その前に。

今回「就職留年して良かったこと」という記事を書くものの、これはあくまで「就活1年目に何もしてこなかった男の体験談」である。

真面目に3年生の夏あたりから就職活動をはじめた学生から見たら「別に留年しなくても、就活1年目から真面目にやればよくね…?」と思ってしまう記事になるかもしれない。

だが、今回の記事は僕のような「何だかんだで4年の7月まで志望企業に内定をもらえず、このまま25卒での就活を続けるか、26卒としての再出発をするか迷っている就活生」に向けて書いている。

だから、しっかり就活をしてこれた方は生暖かい目で見守ってほしい。

就職留年をして良かったこと

広い視野でインターンに挑戦できる

就職留年は捉え方を変えると「周りよりも長く学生目線でいろんな企業を知ることができる機会」とも言える。

一番良かったこともここに紐づいている。インターンだ。

先述の通り、僕は就活を始めるのが極端に遅かった

初めてインターンに参加したのが就活解禁2ヶ月前の3年生の1月。

自己分析などは全くせず、「合同説明会のブースが派手だったから」程度の理由で知らない企業に飛び込んでいた。

当然、「志望動機をどのように話せばいいか?」「グループディスカッションはどう進めればいいのか?」などの知識にも絶望的な格差が生まれていた。

その点、就職留年期間はそれなりの就活知識や社会の厳しさ(就職できなかった)を知った上で夏インターンの選考に臨める「強くてニューゲーム」状態なので悪くない。

現に、僕が就職留年をほんとうに決意したのは「試しに受けた大手広告代理店の夏インターンに受かったタイミング」だった。

就活の一年目では決して受からなかったような会社に通ったことで、「就職留年の強さ」をその時思い知ったのだ。

その後、夏だけでも10社近くのインターンに参加することができたことを考えると、留年のおかげで多くの会社に視野を広げることができたと思う。

同じ志の仲間が増える

インターンへの参加を重ねるにつれて、いわゆる「就活仲間」が増えていった。

同じ業界を受けている人間と出会いやすいからこそ、情報交換も進むし話も合う。

一度就職留年しているからか周りよりも焦りが少なく、冷静に人付き合いができたような気もする。

行く先々でLINEを交換しては、インターンや選考が終わった後もエントリーシートを見せあったりしていた。

多くはないが、就活を終えて5年経つ今でもたまに飲みに行く友人もいる。

「受験は団体戦だ」なんて宣言する高校は多いけれど、就活の方がよほど団体戦だと思う。

そして、その団体戦を戦い抜いた友人とは、業界の仲間として就職後も仲良くなれる。

これから先一緒に仕事をすることもあるかもしれない。

就活留年したからこそ得られたメリットだろう。

ガクチカが作れる

これもかなり自分の中では大きかったと思う。

自分は就活1年目から「コピーライターになりたい!」と思っていた。

しかし「そのために今からコピーを書く」という発想を持ち合わせてはいなかった。

(「コピーを書きたい」とは思っていたものの、その方法が思いつかなかった)

だが、就活は2年目に突入。

自分の人生を背負って、なりふり構っている場合ではない。

就職留年を決めた1年間で下記のことに取り組んだ。

①コピーライター養成講座に通う
②「あなたのキャッチコピー50本1円で書きます」サービスを開始して、学内のサークルなどのコピーを書きまくった
③「大阪市立大学留年サークル」を立ち上げて、グラフィック広告を作り続けた

(↑当時つくっていた「留年サークル」の広告)

当時書いたコピーは今見るとどれも下手くそで、1円の価値もないようなコピーもある。

だが、それでも

「自分でサービスを立ち上げてコピーを書きました!」

「自分の立ち上げたサークルを、コピーの力で部員◯人増やしました!」

と面接で話せるようになったのは大きかった。

「コピーライターになりたい」と思う人間が、コピーを書く場所を作る。

当然のことだが、おそらく就職留年しなければ気づけなかったことでもある。

ガクチカは、1年で作れる。

就職留年が決まったら、志望業界との一貫性を持ったガクチカを作ってみるのもいいだろう。

就職留年をして後悔したこと

ここからは、逆に「就職留年なんてしなければ良かった」と思った瞬間をご紹介したい。いいことばかりではもちろんない。

焦りや劣等感がすごい

就活留年の一年は、正直焦りがすごかった。

3月1日の就活解禁日に酔い潰れていたような人間なので自業自得だが、就職留年当事者にしかわからない世界があるのだ。

同級生がゼミに通う中、ひとり夜行バスで東京へ面接に行く。
同級生が卒論を書く中、僕はマックでエントリーシートを書く。

心細さが伝わるだろうか。

「留年しても、また内定がもらえなかったらどうしよう」

そんな不安と隣り合わせで生活をしていて、頭がおかしくならないわけがない。

当時はまだ励まし合える仲間がいたからなんとかなっていたが、彼らがいなかったらきっと僕は流浪人にでもなっていただろう。

なんにせよ、就職留年生が背負う一年はかなり重いものなのだ。

インターンで気まずい

「実は俺、留年してるんだよね…(笑)あっ!でもタメ口で全然いいよ!(汗)」

留年して以降、このセリフをインターンで何度発したかわからない。

前述の通り、インターンでは人と仲良くなれることが多々ある。

ただ、「ここにいるのはみんな同い年だ」という共通認識が参加者にあるせいか、就職留年を打ち明ける瞬間は毎回気まずいのだ。

それまで仲良くタメ口でしゃべっていた人でも、留年を伝えた瞬間「あっ…そうなんですね!すみません!」と急に敬語に切り替えられることもあった。

僕は大学の単位を落としまくっていたおかげで年下の学生と机を並べることに慣れていたが、もしそうでなかったらかなり精神に来ていたと思う。

中国語の授業、再履修しててよかった〜。

お金がかかる

就職活動には、お金と時間がかかる。

特に、就職活動が解禁される3月なんて毎日のように説明会や面接に行っていた。

当然、バイトなんてしている場合ではない。

それに当時大阪に住んでいたので、毎月のように夜行バスで東京に面接に行く必要があった。(当時のトラウマのせいで、バスタ新宿を見るといまだに身体が痛くなる)

そして、留年には学費もかかる。

僕の場合、見事「出世払い」という名目で親のスネをかじってしまったのだが、まだ出世していないので完済はできていない。

大学によっては「休学」という選択肢を取ることで学費を抑えることもできるので、制度やお財布事情と相談しながら決断をする必要がある。

就職留年の末路

2020年6月。

就職留年を決めた1年後、僕はまた、スマホを握りしめていた。

第一志望のリモート面接を受けた、1週間後のことだった。

就活生が集まる掲示板では、その結果の話題で持ちきりだった。

「今日、選考結果が一斉連絡で来るみたいですね…!」
「最終面接は形式だけで、ここから落ちることはないですよね…!?」

話によると、今日中に人事から電話が来なかったら、後日「お祈りメール」が来るらしい。

刻一刻と時間が過ぎる。

「もう20時やんけ…」
「死にました もうあきらめます」
「人事もさすがにもう退勤してる時間よな…?」

掲示板では、連絡が来ないことを嘆く就活生たちの怨嗟が勢いを強めていった。

僕はというと、目の前のスマホが鳴るのを祈るだけ。

1分が永遠のように感じられた。掲示板の書き込みが、少しずつ減っていった。

時計の針が24時を指した。僕は掲示板を閉じ、缶ビールを開けた。

電話は、こなかった。

そう。僕は就職留年をした挙句、第一志望だった総合広告代理店に入社する夢を、とうとう叶えられなかったのだ。

結局ボクは、就職留年をして「良かった」のか?

僕はその後、「コピーライター職」なんてないデジタル広告代理店に入社し、営業に配属され、10ヶ月で退職してしまった。

辞める時には「お前、もともと営業なんてやる気なかっただろ」と怒られた。

人の2倍就活をしても、第一志望に入れなかった。

とても惨めな思いをした。だが、それでも。

僕は就職留年をして「良かった」と思う。

2社目として受けたトゥモローゲートのコピーライター選考。

学生時代にはじめた「あなたのキャッチコピー、50本一円で書きます企画」で書いたコピーを実績としてアピールした。

学生時代、下手くそでもコピーを書き続けてきたからこそ、いい意味でプライドがなくなったし、行動力も身についた。

実績も何もない中でトゥモローゲートに入ることができたのは、その行動力がなければあり得なかったと思う。

入社後も、ありとあらゆる手段でお客さんの情報をとりに行く姿勢につながっていると思う。

(休日に、2時間かけてお客さんの施設に出かけたこともあった)

就職するために積み重ねてきたことが今、仕事で役立っていると強く感じるのだ。

就職留年は「有利」に変えられる。

「留年」そのものが選考に与える悪影響はなかった。

考えてみても、「一度留年しているから」という理由で選考を不利にするのは、企業にとってあまりにも不合理な選択だ。

面接で「なぜ留年したんですか?」と聞かれることも、正直あまりなかった

でも、聞かれた時の準備は精一杯した。

3万字の自己分析をしたし、ちゃんとコピーも書いた。

自分の留年に「目的」を見出すことができたから、僕は胸を張って就活に挑めた。

これまでの行動の数々が、就活1年目の自分とは比べ物にならない自信を生み出したのだ。

就職留年は不利ではない。むしろ自分次第で有利に変えられる。

「就職留年」というのは不思議な時間だ。

「もしかしたら次もうまくいかないかも」なんて重圧に押しつぶされそうになる。

それでも自分の人生に向き合って、動き回る。

結果がどうあれ、そこで積んだ経験は絶対に無駄にならないはず。

僕は、皆さんの人生に責任を持って何か言う権利はありませんし、できません。

語気を強めて「絶対に〇〇すべきだ!」なんて言うインターネットのアドバイスを、そんな簡単に信じちゃいけないからね。

でも、「どうせなら満足いくまでやりきってほしい」と思います。全国の就職留年生に幸あれ!!!!

トゥモローゲートでは就職留年歴など関係なく通年で採用募集しています

カテゴリー

おすすめの記事

人気記事ランキング

VIEW MORE
Twitter
VIEW MORE
YouTube
VIEW MORE
LINE