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前歯が2本ないWEBデザイナーを中途採用した話

おはようございます。池田リョウです。

2025年までに「大阪で一番オモシロイ会社」を目指すトゥモローゲート株式会社の役員です。

社内の二大部署のひとつ「意匠制作部」のゼネラルマネージャー(以下GM)をしています。

新メンバーが入社するごとに更新されるこのシリーズ。

うれしいことに最近、この意匠制作部メンバー紹介ブログを見て、選考に来てくださる方が増えてきました。

SNSの発信だけではわからない、メンバーのこれまでの経歴や、今トゥモローゲートに実際に入社してみたナマの声を、できる限り包み隠さず・脚色せずをモットーに執筆しています。

トゥモローゲートのクリエイターとして、どんな人がいるんだろう、自分も扉を叩いていいのかなぁなんて悩んでしまう方にはちょうどいいエッセイみたいなものです。

今回は、お子さんもいてデザイナー歴も長い、中途入社/東京支社勤務のママデザイナー。

こうやって新しいワークスタイルや、経歴の変わったメンバーがどんどん入社してくれることは「オモシロイ会社づくり」を目指している僕たちに大変光栄なことです。

さてさて今回のこの方。

なんだか、本当にパンチ効いてるので、心してご覧ください。

【意匠制作部 デザイナー】安室 匡美

プロフィール

安室 匡美(ヤスムロマサミ)

通称:ムロさん。2023年1月入社。富山県出身の三女。
年齢は伏せるが、世の中ではテクノカット人口が増し、ルービックキューブが流行る地味な時代。TVでは第一期漫才ブームが起こる最中に彼女は生まれた。



生まれてまもなく、そして幼少期のころ。わたしの家はなかった。

家の中はいつも薄暗い。

反対された結婚で家庭は裕福ではない。

洋服は親戚からのもらいもの。

いくら子供とはいえワガママも言えず、毎日の我慢なんかアタリマエだった。

母は、そんな家庭の状況もあってか、よく泣いていた。

肩が震える母の後ろ姿をよく眺めていたが、その一方で教育には厳しい母だったようにも感じる。

一方、父は優しかった。とっても。なんでだろう。

あぁ、そうだ。夢だって昔からなかった。

ただ毎日を暮らす、生きることで精一杯だった。

ただひとつ。物心ついたときから、絵を書くことだけは好きだった。

なんでって、暗い暮らしの中でも、えんぴつを持って「絵」を描くことで、その絵を通して家族やともだちともつながって、会話することができたから。

わたしが絵を書くことで、笑顔の時間がちょっぴり増える。



現在、トゥモローゲートで毎日バカみたいにとにかく明るいムロさんを見ている限り、そんな過去は1mmたりとも感じられない。

1mmたりとも。

きっとムロさんを知っている人は100%そうやって思う。

まるで映画のような、できることなら誰も経験なんかしたくない、そんな始まり。

【ムロさんとデザインのつながり】

ムロさんは経験値と年齢もあり(失礼)、誰もが認める多彩なデザイナー。

WEBを一人で完結することもできれば、イラストだって相当なもんだ。

よくもまぁトゥモローゲートに入社してくれたなと、感動できるほどの逸材。

僕自身、選考での面談も4回ほど重ねたが、話していてワクワクし、

回数を重ねるほど入社後が待ち遠しくなったデザイナーは多くない。

トゥモローゲートに入社して早や7ヶ月。※23年8月現在

そんな多彩な彼女の”デザインとのなれそめ”を深掘って取材してみた。

それは大きく結婚前と結婚後に分かれる。

【結婚前】

富山県出身と紹介したが、ムロさんは中学生になり富山→関東へと移動していた。

引っ越しは父の仕事の関係で成人までに6回経験している。

はじめは埼玉。

引っ越しが多い故、友だちと深く付き合うことはほとんどなかった。

中学ではガラの悪い生徒が多かった。

ある日、普段見かけない人が急に隣に座ったと思うと、おもむろに話しかけられ、どこからきたの?と返すと刑務所から出てきた男の子だった。

「遊ぼう…」と誘われたが、眉毛もなかったし、中学生ながらに怖かったのでおしゃべりだけをたくさんしていた。(おしゃべりはするあたりがムロさんだ)

父は野球が大好き。その影響もあり、子供のころからよく野球をいっしょに見に行っていた。

大学生になっても野球が好きだったムロさんは、履歴書を新聞社に送り、編集局で4年もの時間をアルバイトして過ごした。そして、その職場で一人の想いを寄せる男性と出会う。

初デート時には、ムロさんの背後には6人の友達が、まるでガードマンのように心配してついてきてくれた。

それくらいムロさんの男性関係にみんな“違和感”を持っていたのだろう笑

絶対すぐダマされる・・と。

しかし不安は杞憂に終わり、なんの心配もないステキな男性だった。

「卒業したら結婚しよう」と言われていて、「わかったよー」とふたつ返事で結婚した。

私生活に関してはあらゆる欲がまったくなく、下記の動画のようにムロさんは本当にのほほんと生きる。



好きなことは幼少期から変わらず「絵を描くこと」。

えんぴつで紙に線を引くことで話しかけられるから、おもしろい絵をつくり出すことでまわりの人が笑顔になるから。大きくなっても何も変わらない。

中でも影響を受けたアーティストがエドワードゴーリー(絵本作家)。


20歳くらいに偶然入った展覧会ではじめて「絵」に衝撃を受けた。

ムロさんはゴーリーの絵本を買うようになり、タッチを真似る。

スケッチブック片手に動物園や好きな場所でスケッチをした。

その時の絵はこんな感じ。

かわいいタッチの中にもどこか陰を感じ、のほほんと見せかけているが一筋縄ではいかない、実はこだわりが相当強い現在のムロさんを彷彿させる。

【結婚と離婚】

大学卒業に近づく。

ムロさんはとくにお金稼ぎに興味はない。

しかし芸術には興味を持ち“趣味・興味として”ものづくりをはじめていた。

イラストとか、なんかつくったりとか。もうとにかくつくる。

劇団の舞台美術をつくっていた時代もあった。そこでの経験は今の案件でも活きる。旗を作ったり、背景のセットを作っていたり。その時代に新しい水彩タッチも学んだ。楽しくてたまらない。

基本的に勉強が好き。デザイン関係の学校や習いごとには一度も通ったことはなく、全部自己流でインプットを続けている。

そして大学を卒業。
ムロさんは想いを寄せた新聞社の男性と約束通り結婚する。

卒業後は就職するわけでもなく、フリーランスとして活動していた。

友だちのおとうさんに、とあるプロダクトのパッケージ用シールをつくってあげたのが、フリーランスとしてのはじめてのしごと。

まん丸い図形に上から線をちょいちょい引き、ロゴを上からポンっとのせるだけのしごと。

いつも紙に描いていた絵をデジタルで描くことも「ほぇ〜」という状態だったので、はじめてのタブ
レットには相当困惑した。

当時はソフトの操作もだし、デザインの用語すら何もわからず、今ではわずか数分でできることが数時間かかっていた。

…結婚して1年あまり。

こうしてフリーランスとして仕事をしているうちに、ムロさんは仕事の楽しさを感じはじめる。

旦那さんは昔から専業主婦を望んでいた。とはいえ、仕事に理解はあるやさしい人。



…ムロさんは離婚を決めた。



この仕事でがんばりたいと思った時に、この人のそばにいたらきっと甘えてしまうと思った。

離婚の想いを一言伝え、荷物をダンボールにまとめて家を出る。

住む家は即決で決めた。なぜか蛍光ピンクのラブホテルのようなマンションだった。

ムロさんは離婚をした。本当に。

そして、大好きなイラストを書き続け、デザインのあらゆる勉強を積み重ねる。



気づけば3年もの月日が経っていた。

僕は普段の面談でもよく感じるが、結局「好き」にはどんなコツコツした努力も敵わない。

「好き」は知らない間に人を、心を、動かす魔法だ。

ムロさんは取材の中で何度も言った。

「生涯、クリエイターでいたい」

何度も言うのだ。うるさいくらい。

しかし僕はその言葉を聞きながら、意外と聞いたことがない言葉だな…と、感じていた。

最近のクリエイターと話していてもみんな“クリエイト”が目的ではないように感じることも多い。自分自身でもそんなことを思ったことがない。

心の底からものづくりが好きで、なにかを生み出すことを考えるのが好きだからこそ、ムロさんは今でも技術やトレンドのインプットをやめない。

見てるだけではなにも変わらないので、とにかく手を動かすこと。つくってみないとなにも進まない。

これが彼女のスタイルだ。



話を戻そう。

年月は経ち、グラフィックデザイナーとしてフリーランスを続ける中で、なんとムロさんはコンペに通った。

新製品カタログの案件で、ドタバタ家族をモチーフにしたキャラクター制作を行い、4コマ漫画とそのストーリーをたくさん描いた。描いた数、もはや100本以上。


小俣家(こまった)という家族がドタバタしながら幸せになっていくストーリー。なんとこれがきっかけで4コマ案件がたくさん来るようになってしまった。うれしい悲鳴。幸せな家族を描くというのもムロさんにしては少し皮肉なものだ。

そして、ムロさんは再婚をする。

お相手は新聞社の男性。とってもいい人。ステキな人。

ひとこと「あの時はごめんね。」と告げた。

男性は困惑し、かなり驚いていた。

一緒になるなら、それならまたあなたがいいんだ。

3年間でなんとかひとりでも食べていけるまで成長したムロさんは、元旦那とまた新婚生活をはじめた。



・・・・

気がつけば、フリーランスとして少しはサマにはなってきた。

とはいえ辛いこともたくさんある。

ある案件では、10回以上も「あなたはデザイナーをやめた方がいい」と直接言われ続けたこともあった。

そして、ある繁忙期。

ムロさんは連日の徹夜が続き、急に意識を失った。

視界は、深夜の闇よりも深く暗く落ちていく。

ここからは壮絶だ。

意識を失い、朝ふと気づけば自分自身が前のめりで倒れている。

目を開くと、辺りがなぜか血まみれなのだ。

私は何をした?他に誰かいるのか?何の血?

脳はフル回転で昨夜の断片を探すが、なにひとつまとまらない。

ムロさんは恐る恐る鏡を見た。

血の味がする。口もとが赤い。
口紅のレベルではない。
口の中はいつもより涼しい感覚だ。

口を開くと、ムロさんの前歯がそこにはなかった。

徹夜が続きすぎて意識が飛び、顔から前に倒れて前歯で全身を支えたことで、前歯が二本とも折れてしまった。

・・・・

「池田さん聞いてください!それから差し歯なんです!あはは〜笑」

「いまでもね、いまでもね、年に一度は話していると前歯が飛んでいくことがあるんですよ〜!あはは〜笑」

僕の表情を見るとわかると思うが、前歯が飛ぶのは、誰がなんといおうと喋りすぎとしか思えない。



・・・・

それでも案件は進む。

フリーランスは自分との勝負だ。休憩するのも寝るのも、案件が終わらない不安が怖くて休めない。

そんな中、出産。

子どもも生まれ、育児がはじまると、生活すべてで八方塞がりになってしまったこともあった。

とにかく時間がない、安心できない、前歯がない。

ムロさんは、ただ無心で走り続けた。

フリーランスを続ける中、子育てが本格的に始まると次は請求書の送付漏れが頻出した。仕事の漏れは意地でも出さないが、お金(請求)の漏れが多い…

いくらお金のためではないとはいえ、この仕事の行く末が不安で、考える時間も増えてきた。

30歳を超えると、周囲でも起業し始める友人たちが増える。

そんなつながりからも数件お仕事をいただくようになり、その中で初めて「WEBデザイン」の依頼を受けた。

これが今の仕事へのきっかけとなる。

もちろん根っからクリエイターのムロさんは、またもすぐに着火しデザイン・コーディングの猛勉強に明け暮れる。



できることが増えるにつれ、仕事は幅を持ち始める。

しかしその一方で、ひとりでの仕事も管理もついに限界を感じた。



知り合いを増やしたい気持ちも相まって、初めて制作会社へ“業務委託”としてのチャレンジをした。

そこは某著名なWEB制作会社。

「入社試験が相当難しかったんです…」とムロさんは語った。

[某著名なWEB制作会社 入社試験内容]
・ある有名経営者の顔写真
・顔の横にはフキダシがついている
・「(経営が)赤字でどうしよう・・」というセリフ

以上。



この画像を見て、なにか作ってきてくれというのが入社課題試験だという。なかなか、ぶっ飛んだ課題だ。

ムロさんも「意味わかんない・・」と思いながら、一週間もらってその某有名企業を調べあげた。

①企業の新しいスローガンとターゲット設定、②未来のブランド設計をまとめた企画書、そして③仮想のサイトまで制作し、プレゼンをした。

盛り盛りの提案。

WEBのスキルがないから、熱量を出さないと勝てるわけがないという理論。

見事制作会社には合格した。

【ムロさんの仕事感】

これまでチームでの制作をしたことなかったムロさんは、WEB制作会社に入社しワクワクしていた。

一方で当時は協調性が皆無だったと話す。今では考えられない。

仕事への欲が強すぎて、ビジネスマナーや組織の理解、相手への尊重なんてものは1ミリも興味がなかった。

社長と二人でクライアント提案へ行くこともあれば、自分で勝手に提案へ行くことも。

とにかく動いて相談なしでも結果を出そうとしていたし、失敗もたくさんした。誰かに頼ることも少なかった。周囲の人とのコミュニケーションも少なかったし、意外とそれで怒られることもなかった。

社長のことはとても信頼し、尊敬もしていた。だからこそ社長に負けているという劣等感もすごかった。

提案にいく前に資料をチェックされることもない。

変なものをつくれば会社がどうよりも、ただ自分が恥をかくだけ、という社風だった。

実際に恥はたくさんかいた。

わからないことは必ず聞かないといけないなと今では後悔している。

当時は劣等感が故か、質問すらしていなかった。できなかった。

時は経ち、大きな仕事ももらえるようになった。

社員登用の話もあったが、もっといろんな会社を見てみたいという気持ちも強かった。

今の会社にはチームとしての一体感が物足りないと感じていたのだ。

そんな中「少人数制でチーム力が魅力」という会社を見つけ、正社員として移ってみることを決心した。

しかし、ここで事件が起こった。(…よく事件に遭遇するひとだ)

入社直後、もともと「チーム力が魅力」と公表していたそのチームメンバーたちが、たった1人を残し、全員やめてしまったのだ。

えっ、チーム力とは・・いや、一致団結して辞めたのか…?

残った一人もまだ入社して3ヶ月という。そこにアルバイトさんが二人いる状態。

もう当時の記憶はないが、二度と思い出したくないくらい大変だったと語る。

「代理店の仕事が多かったのでスケジュールも全部タイト。子育てとの両立が本当にヤバ過ぎました!笑」

ただ、そう話すムロさんだが、そこから4年続けたという。

時が経つと、新しいメンバーも採用でき、自分の退職時にはみんなが仲良かったと大きな声で言えるほど、いい空気を作れていた。旧メンバー全退社の会社を立て直し、案件も回し続けたムロさんの根性と実力を思い知らされたエピソードだ。

原動力はなんだったのかと聞くと、「正社員としてはじめて入った会社だから」という。

オトコマエだ。

そして、ムロさんはそこで仲の良かったエンジニアから違う会社を紹介してもらったことがきっかけで、そのエンジニアとともにちがう会社に移ることとなった。組織としては3社目。

前の会社では取引先がある程度決まっていたこと、運用系の業務が多かったこと、そんなことから自分の中でもう一社くらいは違う会社で働いてみたいという気持ちが芽生えていたのだ。

いざ入社してみると、聞いていたイメージとまた少しちがい、入社後にすぐデザイナー1人になってしまった(こうなるともう、ただただ運が悪いひと)

案件の進行スタイルもイメージと異なったこと。出社メンバーも少ないことから、フリーランスとの違いを感じることが自分には難しかった。あぁ、まただ。

これからの、この先の会社選び、下調べの必要性をはじめて学んだ。

「生涯クリエイターでいたい」

何の迷いもなく何度もこう話すムロさんに当時の転職の軸を聞いてみた。

これまでのクリエイター人生では煙たがられることが多かった。

周囲のメンバーとなぜか熱量が合わない。

納得いかないことはつい口から出てしまうこと、「もっとこだわり抜きたい」そんなクリエイティブに対しての想いがどこにいっても合わなかったこと、もっと話したいのに(良くも悪くも)お任せしてくれること。

これらがこれまでは自分的にも周囲からも、良い風には捉えられていないんだろうなと感じていた。

ここが転職の軸だった。

【TGとのなれそめ】

ちゃんとした組織(と感じる会社)に入ったのははじめてだと言う。それがトゥモローゲートだ。

接点はこのブログ。

クリエイターの友人からオモシロイ記事があったよと紹介してもらった。

詳しくはこちら



ブログがきっかけで会社に興味を持ち、意匠制作部の実績や仕事内容を見ていて、自分もよく考えるとこれまでブランディングをしてきているんだなと思いさらに興味が湧く。

話を聞いてみたいなと直接エントリー(https://tomorrowgate.co.jp/entry/)をしてみた。

以上が応募までの経緯だ。

そもそも自分と近い思想の人間が会社にいることが初体験。

「むしろ、トゥモローゲートではみんなより負けているのでは?」

ムロさんはうれしそうにそう話す。

これまでの仕事では良くも悪くも割り切りが多かった。スケジュール・予算の兼ね合いで制作時間がかさんでしまったり、さらに詳細を詰めるにはコミュニケーションコストが高すぎて、諦めざるを得ない流れが多かった。

クライアントに寄り添いたい、もっと深く相手のことを知りたい、などストイックに仕事に向き合う人が多いトゥモローゲートは新鮮。

おはよう・いってらっしゃいの挨拶も、アタリマエになかった。

そもそも出勤時間もバラバラだったり、人が少ないなどで仕方ないとも思っていた。

誰がオンラインなのかも、誰が出勤しているのかもわからず、フリーランスの集まりのような組織が多かった。殺伐とした空気もあったし、コミュニケーションは取らない方がいいと感じることが多かった。

ストイックだけど温かい人が多いのは、これまで仕事では諦めていた部分がしっかり解消されていく感じがして心地いいし、自分の可能性も広がる感じがする。

コミュニケーションをこんなにとる会社もはじめて。

ちょっと自分でもしゃべりすぎじゃないかと思うくらい、負けずにしゃべる。(ほんとによく喋る)最近はしゃべりすぎでもうアゴが疲れてきたという。

仕事に対する目標の考え方も変わってきた。

今はたくさんのデザインテンプレートやAIなど、テクノロジーも急速に発展している。

クリエイターとして、デザイナーとしての自分の価値ってなんだろう?と自問自答もしていた。

これまでの制作物では自分のためにつくってきた感があったのが、もっとクライアントの思いをていねいに伝えられる仕事ができるかもしれないと思った。

トゥモローゲートで同プロジェクトのメンバーと話しているだけで、あぁこういう考え方なのか!と、いつもひとり驚いている。

デザイナーとしての経験や実績は積んできたつもりだが、「誰かのために」という想いでデザインをしてきたことがなかったという。

これまではどうやって綺麗な魅せ方をしよう?だったのが、いまはどうすれば会社を一番魅力的にデザインで表現できるのか?に変わってきた。

「私、4ヶ月で変わった!」と、まるでダイエットをしているかのように誇らしく、そして満面の笑みでムロさんは話した。

【最後に、会社への想いを色々質問してみた】

Q1:トゥモローゲートの入社前と入社後の心境変化は?

めちゃくちゃここで仕事がしたいと思ってたんです。面談が何度も続いたのですが、毎回の面談が楽しみだったのと、早くこの人たちと仕事がしたいという気持ちで溢れていました。

HPなどの写真で見ているとなんかみんな凛々しい感じで( https://tomorrowgate.co.jp/member/ )やっぱり相談しにくいのだろうなと思ってましたが、実際には全然いい意味で違って、温かいのに仕事にストイックなのがとても心地いい。

もうみんなの熱量が逆に暑苦しく感じるくらい。なんでこんな人たちばかりいるんだろう?新しいツールやトレンドの把握、ナレッジの共有なんかは結構億劫なところもあるのに、みんな前向きに詮索・吸収していってて、みんな本当にデザインおたくなんだなと思います。

それに伴って、ここまで全員が人がいいというのも珍しいと思っていて。あーもう、ヘンな会社。と心底思っています。

Q2:これからトゥモローゲートでやりたいことは?

いいアウトプットをつくりたい!というエネルギーの高い人たちが多いのは幸せなこと。これまで失敗もたくさんしてきたけど、それによって得たことも大きいんです。だからこそ、これまでできなかった大胆なチャレンジもしたい。

大好きなみんなといっしょに悩んで、いっしょに何かをつくり上げていきたい。そして、みんなでつくったものに結果が出て、話題になっていくのが理想。そうして自分も周囲に刺激を与えられる人材になっていきたいですね。

Q3:夢

小さな頃には夢はなかった。でも、今はあります。

フィーリングが合う人たちで集まってモノづくりがしたい。

村長になりたいんです。

クリエイター村があってアトリエがあって、好きなものが溢れていて、好きなものをずっとつくっていられる。

だから、やっぱり、いくつになってもクリエイターでいたい。

それがいちばん大きな夢。

意匠制作部では現在もまだまだ採用に力を入れています。

どうぞよろしくお願いします。

募集要項(各職種 採用情報)

【9月26日追記】ムロさんの密着動画が弊社youtubeで配信されました。

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