KOHEI NISHIZAKI 西崎康平

1982年昭和57年4月2日生まれなんですが、この誕生日こそが自分のルーツだと感じてます。

4月2日って同年代で1番早い生まれなので歩き出すのも早いし喋り出すのも早いし体が大きくなるのも早い。おかげで幼稚園、小学校と足は1番早くリレーではいつもアンカーでしたし、掛け算の九九も誰よりも早く覚えたし、小学5年生の1月から始めたバスケはたった3か月でキャプテンになるほど早く上達しました。学校の先生との関係も良かったので小・中と生徒会長もやりました。そんな境遇だからか自然と負けず嫌いな性格になっていて、今にいたるのかなと思います。社会人になってからも絶対に負けたくないと思っていたし、起業してからも自分にしかできない変な会社をつくるんだ!とにかくこだわりが強かったです。振り返ると全ては“4月2日”という誕生日から始まっているのかなと。

かといって人生負け知らずで順風満帆だったか?というとそんなことはなく、ハードルだらけで紆余曲折な人生だったなと。中学時代までは勉強もスポーツもこなせる万能タイプだったんですが、高校からはどん底のような時代に突入します。高校は推薦で入学したこともあって全く勉強もしてませんでした。入学時の学力テストでは238人中236位という結果に。バスケ部に入部してまもなくバイク事故で大きな怪我をしてしまい結局退部。その後はいわゆる帰宅部になって真面目に学校に行くことも少なくなっていきました。

不良とかってタイプでもなかったので、ただただ目立たない不真面目な学生という感じ。学校には行くものの出席をとったら学校を飛び出して夕方まで友達とビリヤードをして帰る、みたいな生活でした。ただそんなどん底の自分でもここぞという時の集中力だけはあって、学年最下位で先生から「行く大学なんてあるわけない」と言われ親まで呼び出されてたんですが、高校3年生の半年間だけ必死に勉強して、なんとか志望の大学に入学できました。

大学時代も華やかな生活とは程遠く授業は出たり出なかったり。学校を出れば連れの家で朝まで『ウイイレ』をして遊び倒す毎日でした。そんな学生生活も終盤にさしかかり、就職活動を始めたあたりが人生の一つ目のターニングポイントだったかなと思います。どこの企業情報を見ていても「オモシロクなさそうだな」としか思えなかったんです。毎日満員電車に揺られて決まった時間に出社し、会社に行けばムカつく上司に怒られ、嫌なお客さんにも頭を下げ、理不尽なことばかりで何も楽しくない。それが学生時代に僕が持ってた社会人のイメージです。(社会に出てからオモシロイ会社もちょっとはあるなと気づきましたが笑)

もともとわがままな性格で縛られることが大嫌いでした。スーツも着たくなかったし、ネクタイもつけたくなかった。当たり前とか、みんなと一緒がめちゃくちゃ嫌で、じゃあこれまでの既成概念に縛られない「ワクワクする会社」を自分で起業しようと思ったのが起業のきっかけです。

人生において仕事が占める時間は圧倒的に長いじゃないですか。その仕事がドキドキワクワクできるものじゃないのは嫌だなーと思ったんです。これまでの”仕事”や”働く”のイメージと正反対の変な会社をつくろう、そう決めた瞬間でした。ただ、いきなり起業することはしなかったんですよね。アルバイトの経験はあるものの、経営ってそもそも何なのか?どうやってお金を生み出すのか?というビジネスのビの字も全くわからなかったから。

まずは起業するための力が身に付く会社で勉強しようと思い、3つの軸で就活をやったんです。1つ目の軸は、経営を直接学べる経営者相手の仕事であること。2つ目は、物を売る力が身につく営業の仕事であること。3つ目は、起業するために稼げる仕事であること。この3つをたまたま満たしていたのが人材系のベンチャー企業でした。

よく聞かれます。なんで人材系の会社に入社したんですか?と。当時は人材ビジネスをやりたいとか、社会を変えたいって想いがあったわけではなく、起業への最短距離だと感じたから選んだだけで、そこに思いも志(起業という志はあった)もなかったです。今考えると、経営において最も重要な”人材”という仕事に最初に就けたことはめちゃくちゃ運がよかったなと感じます。

ここまで聞くと、学生時代から起業を考える「意識の高い学生」に見えるかもしれませんし、社会に出てすぐに成果を出すような「エリートな学生」に見えるかもしれません。でも実際はそんなことはなく、漠然とした夢があるだけの普通の学生。それまでの人生で苦労したことはあったけど大学受験も就職活動も結局なんとかなったので、まあ普通に努力すれば仕事でもそこそこ成果は出せるだろうと思って入社したら全く通用しなかったんです。

さらには理想だけ高くて、行動と成果が追いつかない自分の不甲斐なさから入社3か月でうつ病と診断されました。誰とも話したくない。誰とも会いたくない。忘れ物が多くなるし、食事もしたくない。実力不足で成果が出ず、成果を出している周りと比較して自己嫌悪に陥りました。営業成績は同期のなかでもちろん最下位。この時は本当に辛かったですね。自分は必要のない人間で、価値のない人間なんじゃないかという不安に押しつぶされました。

まさに絶望の半年間です。じゃあどうやってそこから抜け出したのか?抽象的な表現にはなるんですが「ちょっとずつの自信」ここに尽きるのかなと。まず誰かと比較するのを辞めました。そうすることで昨日の自分と比較してどれだけ成長したか?になり、凄く出来るひとと比較するよりもハードルがグッと下がります。たとえばいつもより15分早く出社するとか、毎日先輩にロープレを付き合ってもらうとか、営業電話を昨日より1本多く掛けてみるとか。昨日までの自分と比較して出来なかったことにすこしずつ挑戦し出来るようになることでちょっとずつちょっとずつ自信をつけました。不思議なことに自信がつくと、相手にもその自信が伝わるのか契約も決まるようになっていき、それでさらに自信がついていきと、いいスパイラルに入って、1年半ぐらいかな、2年目の夏ごろにやっと抜け出せた感じです。

トゥモローゲートをつくったのは社会人5年目の終わり。なぜこのタイミングだったかと言うと、当時は大阪支社長という肩書があり、任せる人材が育つまでは独立できないなと思っていたんですが、直属の部下がとてつもないスピードで成長して支社を任せられると思ったから。もしこの後輩がいなかったら起業はもっと後になっていたと思います。

27歳で起業し「変わった会社をつくりたい」という漠然とした考えで起業直後は就活支援とか営業代行とか色々な事業をやりました。その当時は営業は得意だったので、食べていくのに困ることはなかったんですが、他社と差別化されたサービスがあったかというとそういうわけではなく、ただ生きていくために仕事をこなすという毎日でした。

モヤモヤっとした感情が拭いきれない不安定な創業期でしたが、そのモヤモヤが解消され始めたのは創業から4年目の2014年ごろのこと。「このままだと全然ワクワクしない」という焦りのなかで、他社がやっていない自分たちらしいサービスをつくろうと、採用に特化したデザイン制作会社(当時はこれを採用ブランディングと呼んでいました)に事業転換したところ、当時採用専門の制作を請け負う会社もなかったことと、自由度の高い採用領域での尖ったデザインが反響を呼び、売上も人員規模も一気に拡大することに成功しました。

ただ、ここには致命的なビジネスモデルの欠陥があったんです。。。

派手なキャッチコピーとデザインで、これまでよりも会社を良く魅せることでお客様のもとには多くの求人応募が集まりました。これまで説明会に10名しか来なかった会社に100名200名と大量の学生を集客することもできました。母集団が増えれば採用人数も増えます。結果、お客様はこれまで以上の質と人数の優秀な人材を採用することができました。一見するととても価値の高いサービスに見えますよね。でも実はその裏では入社した社員がすぐに辞めてしまうという現象が発生していました。

今思えば当たり前の話なんですが、お客様の会社を中身を変えることなく外見だけよく魅せていたので、多くの企業で「いやいや、入社したら言っていることとやってることが全然違うやん」というギャップが発生し、せっかく入社してくれたにも関わらず優秀な人材からすぐに辞めていくという状態に陥ってしまったんです。

それと時を同じくしてトゥモローゲート社内でも大きな問題が勃発します。それが「ビジョンに対する価値観と判断基準のズレ」です。社員が10名くらいまではすべてのお客様の元に僕が同行し、すべての企画書や見積書をチェックし、社員と一緒になってプロジェクトを進行していたため、僕の仕事の価値観や判断基準をわざわざ明文化しなくても伝わっているような気がしていました。ただ人数が増えるにつれて社員と仕事で関わる物理的な時間が減り、次第に僕が何を考えているのか、どんな会社をつくろうとしているのか、が伝わらなくなっていったんです。

「会社はオモシロイことするって言ってるのになんで私のオモシロイことを実行してくれないのか?」オモシロイに明確な判断基準がなかったことで、社員からはこんな声があがるようになりました。「会社の方向性がわからない。」と。これは働く社員からしたら仕事をするうえで一番迷い不安になる大きなポイントではないかと思います。

このままではヤバい。不協和音がひしめく社内では完全に組織が崩壊する。そう思った僕と当時の役員はとにかく現状を変えるため、自分たちがなんのために企業経営をしているのか、創業当時から掲げるミッションやビジョンとは具体的にどういう状態なのか、そのためにトゥモローゲートがやっていいことと悪いことはなんなのか、を明文化するために泊まり込みの役員合宿に行ったんです。この時に完成したのが「ビジョンマップ」でした。

ビジョンマップが何なのかについては事業紹介ページを見て欲しいんですが、自分たちはどんな価値を提供して、どんな未来を目指して、そのために何をするのかを明確にしたことで会社に一体感が生まれました。なんで西崎個人の紹介ページなのに会社の話をしているかというと会社の変化と同時に自分の仕事や組織に対する考え方が変わっていったからなんですよね。特にこのビジョンマップをつくる前と後ではだいぶん変わったなあと。自分たちの指針が明確になったので、社員に出す指示にも事業組織づくりの方針にも一貫性が生まれました。

「オモシロイことをやろう」とは今と変わらず言ってたのですが、そのオモシロイとは何なのかを具体的に説明することが出来なかったので社員を迷わせてしまうことが多々あったんです。そこが改善されたことで会社も自分も大きく成長できた実感があります。“オモシロイところに人は集まる”。それまでは真っ先に売上を求めていたんですがビジョンマップをつくってからは“大阪で一番オモシロイ会社と言われるためにはどうすればいいのか?”を一番に考えるようになった。そうするとやることなすことすべてが自分たちらしくなっていく。結果それが差別化された価値となり、売上に繋がり会社の利益に繋がっていったんです。

2018年の秋、これらの出来事をきっかけに外見で企業を変えていく採用ブランディング事業から、中身から企業を変えていく企業ブランディング事業に改めて事業を転換することになりました。ビジョンマップがトゥモローゲートを大きく変化させたと言っても過言ではありません。

ただ、ビジョンマップをつくって良いことずくめ!ってわけでは全くなかったです。会社の方向性がバシっと定まったことで、その方向性に合わないメンバーは残念ながら退職していきました。その中には創業当時から会社を支えてくれた古参のメンバーもいたので精神的にかなりきつかったです。今思えばお互いのやりたい方向性がはっきりし、それぞれの道を選ぶことができるようになったのはよかったと思いますがやっぱり別れはさみしいです。そんなこんなで現在のトゥモローゲートに至ります。こう見ると山あり谷ありの人生だなとつくづく思います。目の前に大きな壁が現れて、その壁をなんとか乗り越えて乗り越えてじっくり成長してきたなあと。

最後に個人的な将来の夢についてお話します。会社の未来についてYoutubeやTwitterで話すことはあるんですが、自分の将来についてはほとんど話したことがないのでこの機会に語っておこうかなと。自分には将来の夢が大きく3つあります

まず1つ目は『世界中の国に足を踏み入れること』。これは性格によるところが大きくて、例えばゲームのRPGなんかやってると、僕は村人全員に話しかけないと、宝箱や壺を全部開けてからじゃないと次のステージには進めない性格なんですよ。それがこの夢にも通じてる。せっかく地球に生まれたんだからすべての国に行ってから死にたいよねっていう。ちなみに宇宙はまだ遠すぎる話なのでまずは地球から巡りたいです笑。

2つ目は意外に思われるかもしれませんが『学校の先生になること』。これ国語の先生とか、数学の先生とかではなく、子供たちに若いうちから「仕事ってオモシロイんだよ」と伝えられる先生になりたいって話です。仕事の時間って人生の大半を占めるわけじゃないですか。だったら「自分がやりたい仕事」という軸で学校も会社も選ぶような流れになるべきだと思うんです。僕もそうでしたが今はまだ偏差値とか知名度とかで選ぶ時代な気がしてて。そのためにももっと若いうちから仕事や「働く」に触れることが大切なんじゃないかなって思ってます。

そして最後、3つ目は『ホテルを経営すること』です。お爺ちゃんになってビジネスの最前線を引退した後は、南の島か何かを買って、人生で一度しか予約できないみたいな、変なホテルをつくりたいです。部屋や料理はもちろんアクティビティもそう。これまで誰も体験したことがないようなホテルを経営したい。これに関して具体的なプランは何も決まってませんけどね。最後はそんなことやりながら人生を終えたいなと。

じゃあトゥモローゲートの社長をいつまでやるんだって話なんですが、全然自分でもわかんないです笑。早期リタイアしたいって言う人もいますが、そういうのには全く興味がなくて。何歳になっても仕事をしていたい。なぜならそれがどんな遊びよりもオモシロイから。

そういえば、この前役員と食事している時に「社員の子供は意思さえあれば選考なしで入社できる会社にしようか」って話になったんです。うちの会社では子供が参加する社内イベントが沢山あります。親子参観日とか小学生インターンとか。ちっちゃいころからうちの企業文化に触れて、ビジネスの意識を育まれた自分たちの子供が入社してくれたらオモシロイよねって意見です。まあこれも具体的な話では全くなく、妄想に近いんですがそれくらいぶっ飛んだことをやっていきたいなという思いはあります。

いつまでトゥモローゲートの社長をやってるかはわかりませんが、もしトゥモローゲートの代表という肩書きじゃなくなったとしても、人生が終わるギリギリまで何かしらの仕事はしていたいなと思ってますね。ここまで長々と自分の話をしてきましたが、もし少しでもうちの会社に興味を持ってくれたひとはぜひお問い合わせよりメッセージください。仕事の依頼も採用の応募も全力で対応させていただきます。

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